ライトノベルにおける切り口と思うこと

ライトノベルにおける切り口と思うこと


[ジャンル]
ホラー/ミステリー/探偵/ファンタジー/伝奇/日常


[設定]
現代/空想科学/未来


[舞台]
学校/社会


[キャラクタ]
人間/他


[要素]
萌え/燃え/恋愛/ガジェット/世界観(ディティール)/現実感/新鮮味/特異性/複雑な家庭事情/特殊な専門用語


昨今のライトノベルは、大抵これだけで分類可能だと思っている。


作品世界に引き込むための意味不明なカタカナ用語の羅列が所狭しとページを埋め、
「魅力的なキャラクタ」という役割を与えられた、キャッチーの塊で出来たような登場人物が登場する。


小説は創造物である。ノンフィクションであってもそれは著者の脳内をフィルタリングされてアウトプットされる産物なのだから、写真のようにはいかない。
写真ですら、現実を伝えるには足りないというのに小説での描写であれば尚更である。


つまりは、ただ読者の貪欲な好奇心を満たすためだけに存在しているわけだが、
それらは本当に正しい姿での消費なのだろうか。


「成長の糧」思春期を経て自己を確立していく人間にとって、まわりの環境が
多大なる影響を与えるように、小説もまた一部を担っている。
言うなれば、現在のライトノベルはデザートや菓子のような物だ。
人間の体は、成長期に必要な栄養素が与えられなければ、しっかりとは育たない。
太ってきたからデザートは控えよう。甘い物は避けよう。
見て分かるものであればそういって遠ざけるのに、自分の趣味の範囲については
無頓着である場合が往々としてあると思う。
何を言いたいのかというと、「本当に、それは必要な本なのかい?」ということだ。
ライトノベルが悪いわけでは無い。好きなものは好きであっても構わないと思う。
ただ、あれもこれもとやたらに摂取していると、いつしか後悔する時期が来るかもしれない。


前にも似たような文章を書いたが、僕は繰り返し警鐘する。
不況下の金儲けで生み出されたような駄文に払う金があるかどうか、
手に取った一冊を検討して買ったほうが良い。
それは自分の成長にも繋がるし、ゆくゆくはその一冊の著者のためにもなる。


面白い小説を読みたい。
そんな純粋な希望が叶えられない昨今のラノベ事情はすこし残念だ。