ちょっと伊勢だけなんだから。べ、べ、別にあんたのためとかそういうんじゃないんだから、アッアアー!

ということで、帰ってまいりました。
色々ありすぎたので、ダイジェストでお送りします。


今回の目的:伊勢神宮に自転車で行こう。
自転車  :ビアンキロードレーサー。本来、舗装された道路を走るもので、タイヤは細い。※普通ツーリングはMTBを利用する。
装備   :寝袋、地図、デジカメ、日記、MP3プレーヤー、着替え。
格好   :ユニクロジーンズ、ポロシャツ、ナップサックを背負う。頭部プロテクターなし。(←薦めない)皮むけるから、グローブはしてる。


往路(⇒浜松市から自転車で愛知の伊良湖岬、そこからフェリーで鳥羽、また自転車で伊勢
※基本的に歩道か、ない場合は、道路脇の白線に沿って走行しています。

・前日の夜は4時寝。色々と調査で時間がかかってしまった。とりあえず、眠々打破とリポDでスタート。
・浜松、東海道からの国道1号線、途中から横断歩道無ぇー、⇒国道42号線(弁天島経由)にルート変更。ここまでで10km
浜名湖越えてから、愛知県豊橋市入りして、塩見峠とかをどんどん西へ。つーか、山道ばかりで歩道ないし、気を抜いたら即死の危険性。ここまでで20km
・ようやく、伊良湖まで50km」の看板発見。これで、30km地点
・途中、産廃施設反対とか、メロン特売とか、牧場とか、堆肥の臭いとか、海の匂いとか、いきなり農家のおばちゃん斜め横断とか、
小粋にトラクターを扱うおっちゃんとか遭遇。また、競技用装備で身を固めたロードレーサー乗りの人々の冷たい視線が忘れられない。。。「そんな目で見るな!」
・海岸線に沿った国道を西へ行くこと50km。やっと伊良湖岬に到着。これで80km地点
・よく見たら、昔キャンプした恋路ヶ浜と同じ場所であることが判明。9年前のレーズンと砂まじりのカレーは良い想い出。
・自宅を出ること5時間半で、フェリーに乗船。さすがに、他の自転車乗りなんていない。「いいもん、台風なんて知らない!」
・鳥羽到着。そういや伊勢まで何kmあるか知らないや。。。え?15km?「着いた気でいた。日が沈みはじめて、ようやく焦りはじめた。」
・また国道42号線に復帰。つーか、道路狭いよ。。。僕を避ける車のせいで、中央線の溝から音が鳴り止まないし、なんだよアフリカ民芸品の館って!そんなもん道路脇に作るなら、歩道つくれよ!ヽ(`Д´)ノウワァァァンというかですね、途中で、引き返せないくらい道幅が狭いんですけど、すごいスピードで観光バスとか乗用車とか、来ちゃうんですよ。みんな、有料道路通ってくれよ。。。あと制限50kmって書いてあるだろボケがああああああああ!!「死をこれほど身近に感じたのは、初めてだった。冷や汗が出た。あと膝、笑わないでくれ。。。」
・そして、さらにトラブル。「トンネル出現」おい!かろうじて、30cmくらいの歩道を辿る。ここで教訓。「国道を素人が通るのは危険。」
・やたらと真珠の店を目にする。特産品らしい。桃太郎伝説の金銀パールの鬼を思い出した。どうでもいいけど。
・伊勢には着かず、二見という所に出た。迷ったかと思ったが、国道42号線を行く限りは、通過せざるを得ないらしい。
・ようやく伊勢市内に到着。夜6時を過ぎていたので、宿探し。山田屋とかいう怪しい旅館に決定。

・素泊まりで6000円とは舐めた商売だ。そもそも風呂場にシャワーない。洗い場も2つしかない。しかも温い。床が傾いていて、ギシギシ音がすごい。まぁ、これは旅館の醍醐味。
・仕方なく、外で食事。商店街には、人がいない。ゴーストタウンぽくて怖い。若者を見かけない。駅前には、居酒屋のチェーン多数。
・興ざめしたくないので、地元の店に入る。伊勢うどん400円、ライス150円、まぁこんなもんだろう。しかし、自分以外に客はいない。
店の奥で、ご飯をレンジでチンした音が響いた。ゴクリ。
・ようやく発見したコンビニで飲み物を買って戻る。それにしても地図すら売っていない。旅館の年配の化粧に特徴のある女将の「外宮(伊勢神宮)が夜6時で終わるし、ここは田舎ですから。」という一言がどうも信じがたい。
・浴衣に着替えていて、気づいたがサドルの細さと自重とで、尻の皮が一部めくれて痛み始めていた。風呂では、声もなく絶叫。
・挙句の果てには、夜中の2時から4時にわたって、旅館の隣の道路で珍走団の暴走が止まらず、眠れなかった。「女将、先に言え。」

復路
・朝8時に目が覚める。というか、よく寝られなかった。女将に世話になったお礼を言い、ちょっと質問。
僕「国道以外に鳥羽へ抜ける道はないのか?」女将「ありませんね。」。
「嘘だっ!」※その後、当然のようにジャスコの本屋で、県道37号線というルートを発見。「知らないのに、適当な事を言ってくれるな。。。」
伊勢神宮の外宮、徴古館、農業館、美術館、月読宮、伊勢神宮の内宮、おはらい町、おかげ横丁の順に観光。赤福本店で生赤福を堪能。
3個280円でお茶付き。悪くない。お伊勢さまはルートが決定していたので、ウロウロ出来なかった。しかし荒御魂とご本人が別々に祭られていたのは印象的だった。月読も一緒で、別々に祭られていた。あと月読宮では、イザナギイザナミも両親として祭られていた。うーむ。
・で、国道42号線は危険すぎるので、県道37号線を通って鳥羽に戻る。歩道があるって素晴らしい。この時点で山道には慣れ始めていた。
・ちょうど14時のフェリーに間に合ったので、そのまま戻ることに。
・そうして15時の伊良湖着から、帰宅開始。帰宅は夜中になるが、まぁいいだろうと楽観視していた。しかし、浜松まで78kmという看板に改めて遠さを実感する。
・というか、ずっと向かい風なんですが!

・思いの外、坂道がつらい。また、台風のせいで雨が降ってきた。台風を避けるように逃げ帰ってきたが、同じルートなのだから、追いつかれることを想定していない自分が阿呆。つーか、傘とかレインコートないし。。。荷物だけは、ナップサックの中でビニール袋に包みまくっているので、大丈夫だと思った。しかし、自分ズブ濡れ。ここで68km地点
・途中雨が止んだので、一生懸命進んでいると、日没が早いのか山のせいか、暗くなってきた。この時点で、対策を考えるべきだったが・・・。ここで48km地点。
・トラブル発生。浜松まで38km地点で後輪のタイヤがパンク。
・色々考えた結果、徒歩で移動を開始。自転車は杖代わり。しかし、考えてみたらフルマラソン距離を歩ききるのは、無謀すぎる挑戦であった。
・ここまでくると、頭が回らない。時間は当初の予定をオーバーし、12時を回っていた。結局、3時間で40km移動して、その後、5時間半はぶっ通しで歩き続けた計算だ。荷物を背負い、痛み始めた足がしゃれにならない事を僕に感じさせていた。
ここで、浜松まであと21km。17kmも徒歩で移動したのは始めてであった。。。
・迷っていたらどうしよう。。。疑心暗鬼に駆られたが、地名を確認すると湖西市であった。国道1号線をずっと、ひたすらに東に進んでいたのだ。
・足が張り始めていた。そして、大雨になってきた。僕は、ただの濡れ雑巾になっていた。まぎれもなく。
そうして、始めての野宿。
湖西市国道1号線沿いの竜宮とか言うスナックの軒下で、深夜12時に勝手に寝袋を展開し、シャツだけは着替え、トランクス一丁になって寝袋の中にダイブ。濡れた下着が気持ち悪い。更に髪も濡れっぱなし。タオル無しって人として最低だなって思った。
・もし朝起きて風邪をひいていたら、何もかも投げ捨てよう。他人を頼ろう。負けでいいや。。。そんな気持ちが大半を占めていた。
・しかし、そこは国道1号のすぐ脇。そもそも、寝られると考えたのが間違いだった。体は疲労のピーク。しかも体温低下。止まぬ雨、
不快感が続き、いつ、寝不足のトラックがここに突っ込んでくるかわからない。更に警察の職質や付近の住民にいきなり襲われたらどうしようとか、そんな事を考えると、途中何度か意識を失いつつの5時間を過ごしただけだった。
・そうして、朝5時。いくらか楽になった体を起こし、風邪になっていないことを確認すると、移動を開始。
・しかし、浜松バイパスを利用できない僕にしてみたら、21kmピッタリでは帰宅できないことに気づいた。
・時計の針が7時半を指す事、僕は舞阪(弁天島)駅に到着していた。あと、浜松まで13km。しかし台風の影響により、絨毯爆撃のような雨が続き、更に足が筋肉痛のままで、時速4km以下に落ち込んでいた僕。ジーンズはもうこの上なくすごいことになっていた。
あと、靴下もすごいことになっていたので、この時点で、はだしにトレッキングシューズという更にひどい有様だった。
・雨が小降りになったところで、ファミレスを発見。髪はかろうじて絞ってなんとかした。
・モーニングセットを尻目にカツカレーとミルクを注文。この時間帯、店員の女の子が一人でがんばっていた。やるな、と思う反面。こんな客でごめんなさい、と非常に申し訳なくなった。
・久しぶりの食事。食事の記載が少ないので、不思議に思ってるかもしれないが、本当に食べていない。他は、コーラとか、スポーツドリンクとか、水とか、飲みたいものを飲み続けて移動していたのだ。
・そうして、また歩き始めること2時間。浜松市に入ったが、ここで、僕の疲労はピークに達しており、移動速度平均、5km程度になっていた。常人が8kmと思うと、明らかに遅い。また、不自然だ。しかし、足を擦るように進み続ける僕は、はっきり言って帰宅のこと以外、頭になかった。
・で、また土砂降り。雨具も何も無しで、自転車を押してすり足で国道沿いを移動する僕は、ただの変人のように映ったのではないだろうかと今に思う。
・そうして、歩くこと5時間半。時計の針にして10時半に自宅に到着した。片道100km、帰りは徒歩40kmというトライアスロンに、満身創痍という言葉が思い出されたのは言うまでもない。
・シャワーを浴びて、健康ドリンクを飲んだあとは糸が切れるように睡眠を貪った。記憶では、次に起きたのは夕方17時だったか。
・そうして、衣類のほとんどを持ってコインランドリーに行くだけで、今日が過ぎ去った。パンクした自転車を修理しにいく気力もない。

と、ダイジェストといいつつ、ただの箇条書きになってしまったが、これほどまでに馬鹿な行動が山積みされているのは、見てわかるだろう。もし、読みきった人に言葉を捧げるならば、「台風は避ける。自転車はMTB。夜は移動しない。レインコート着用。」とこれだけで
足りるのではないかと思う。
反省会は後日実施する予定だ。冷静になってから。


追記:
寝袋は結果的に役に立った。あとBGM大事。気力を振り絞る。